たまに風邪をひいたりして声が出なくなって思うこと
たまに風邪を引いたとき、私の場合声が出にくくなることが多い。
声がかすれてぜんぜん伝わらないか、話すときに咳が出て声にならなかったりとか。
ふと思ったのが、メール、PCでのメールはもちろん、特にケータイのメールが普及してくれたおかげで、声に出して話さなくても伝えたいことが伝わったり、用事が済んでいるな、ということ。
相手がメールを使わないようなときも、FAXを使うのであれば、メールをFAXにしてくれたり、FAXをメールにしてくれたりするサービスもある。
でも、FAXを文字にはしてくれないので、PDF形式のイメージになるから、この場合はケータイよりもPCやスマートフォンで、ということになるけど。
よくよく考えてみると、メールがあるおかげで声に出して話さないで済んでいる、っていうことは、風邪を引いて声が出ないようなときじゃなくても、メールで済んでいるような気がしてきた。
もし、話すことがメールである程度カバーできているんだとしたら、ほかのこともどんどんカバーできるようになれば、それがバリアフリーになっていくようにに思う。たとえば、見るということも、聞くということも、歩くということも。
でも、話すことと、話せるということと、話さなくても済んでしまうことと、話さない、ということは違うような気がする。
話さなくても済んでしまうからといって、話さないことがいい、ということでもないかな。
声がかすれてぜんぜん伝わらないか、話すときに咳が出て声にならなかったりとか。
ふと思ったのが、メール、PCでのメールはもちろん、特にケータイのメールが普及してくれたおかげで、声に出して話さなくても伝えたいことが伝わったり、用事が済んでいるな、ということ。
相手がメールを使わないようなときも、FAXを使うのであれば、メールをFAXにしてくれたり、FAXをメールにしてくれたりするサービスもある。
でも、FAXを文字にはしてくれないので、PDF形式のイメージになるから、この場合はケータイよりもPCやスマートフォンで、ということになるけど。
よくよく考えてみると、メールがあるおかげで声に出して話さないで済んでいる、っていうことは、風邪を引いて声が出ないようなときじゃなくても、メールで済んでいるような気がしてきた。
もし、話すことがメールである程度カバーできているんだとしたら、ほかのこともどんどんカバーできるようになれば、それがバリアフリーになっていくようにに思う。たとえば、見るということも、聞くということも、歩くということも。
でも、話すことと、話せるということと、話さなくても済んでしまうことと、話さない、ということは違うような気がする。
話さなくても済んでしまうからといって、話さないことがいい、ということでもないかな。
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